2008年3月1日土曜日

METRO-VIEW:バレンタインはグリーン・チョコ,ホワイト・デーは?

バレンタイン・デーの2月14日,緑色のチョコレートこそ配られなかったが,かわりに,第1回「緑の東京募金」感謝状の贈呈式が行われた.知事賞(募金額300万円以上の団体,100万円以上の個人)が2団体に,局長賞(募金額100万円以上の団体,30万円以上の個人)が3団体に,特別賞(特に募金への貢献が認められるもの)が5団体と1個人に,それぞれ授与されたのである.

私は2月のはじめに東京都の管理職候補者向けの研修講演を行う機会があった.そのなかで,「緑の東京募金」の趣旨はよいことだし,都庁のベスト・プラクティスと胸を張れるぐらいにすべきだとエールを送ったが,あわせて,注文もつけた.

単なる募金集めにとどめるのではなく,例えば,東京のヒートアイランド現象の一因でもある臨海部の高層ビルの建築業者やその他環境負荷をかけている企業が全面的な支援を表明したとか,臨海部に林立している高層マンションに居住する住民も募金していますよとか,それぐらいの宣伝をできるぐらいまでに盛り立てていかないと,都民に共感を呼ぶムーブメントになるわけがないと.

その数日後,件の感謝状制度が創設された.とすると,私の提案が即採用されたことになる,わけがなく,私の思いつき程度のことは当初から準備されていて,偶然,タイミングが重なっただけに違いない.

もともと希望者には募金者氏名をホームページに掲載する約束であったが,それだけではあまりに気がなさ過ぎる.講演の数日前に,第1回の地方自治制度に関する研究会の席に現れた猪瀬副知事が疲れ切った表情で,都職員1000人のボランティアで緑の東京募金街頭キャンペーンをしようとしたらいつの間にか手当てが支給される話にすり替わっていた,と憤慨していた姿を見ていただけに,ちぐはぐぶりが気になった.そこで,上記のような〝注文〟と相成ったのである.

しかし,猪瀬副知事と都庁の〝衝突〟劇にも助けられて街頭キャンペーンはメディアに多く取り上げられたが,私の確認できた限りでは,残念ながら贈呈式の方はベタ記事扱い.いっそ,緑色のチョコを配って話題をさらってもよかったであろうが,そこまでのセンスと器量を求めるのは酷であろうか(それに,緑色のチョコの代金の方が募金額より多いとマスコミに叩かれかねないし).

ただ,それ以前の話としては,例えば,環境局のホームページ(緑の東京募金ホームページ)を見ると,事業に充てるために募金をお願いしますという「説明調」.これで果たして都民の共感を呼ぶムーブメントになるのだろうか.一般に募金にありがちな,一事業として粛々と進めればいい(こういう場合,目標額には到達せず,仕方ないですねですまされがち)という発想であってはならないだろう.

確かに具体的な事業を挙げて募金を求めるのは,目標志向的で結構なことだ.しかし,目標額は3年間で8億円とされる.仮に目標に達したとすれば相当な大金ではある.しかし,空前の税収(5兆5千億円!)を挙げている都政のなかでいえば,募金に頼らなければならない金額では決してない.それをなぜあえて〝募金〟という手法をとるのか.

ふるさと納税で地方に回ってしまうぐらいであれば,この募金で都民の税金を取り込んでしまえ,ということではもちろんないだろう(制度からして別).

核心は,「緑の東京募金」を通じて,環境に対する都民ひとりひとりの意識を高め,そして,環境負荷は高いけれども,適切な手段を講じれば最も効果的な対策をとれる,大都市ならではの環境問題を提起していくことにあるからではないのか.

この問題をもう一歩踏み込んでいうと,自治体としての東京都が個別課題を都民とともに取り組むという,まさに〝自治力〟が問われているのである.こうした感覚を失うことなく都政を運営していくのでなければ,事業としての成功がおぼつかないどころか,自らの存在根拠を掘り崩しかねないことも肝に銘ずべきだろう.

現在都議会が開会中である.400億円の追加支援策の是非を含めた新銀行問題が中心的な争点として展開されるはず.大都市における自治の原点を見据えることなく,ホワイト・デーに一方的に甘いお返しの期待を抱かないことだ.

(c) Satoru Ohsugi, 2008